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2012年5月9日水曜日

曼陀羅の人 : 陳舜臣

「804年、密教招来の大いなる希望を胸に唐へ渡った空海。大阿闍梨恵果の知遇を得て修行に専念、ついには灌頂を授かり、密教界の最高位に即く…。日本仏教界の巨人・空海の求法の道を描く長編。」

上下2巻。遣唐留学生として唐に渡って、日本に帰るまでの話です。なんというか、人物の設定などが親しみやすく、かつドラマティックに仕上がっています。


本の内容から離れそうですが、ちょっと子供っぽいことを書きます。

求法の道などというと、俗世間から超越した高みに達することのようにイメージしてしまいます。が、この物語の空海は人間的な愛にあふれた優しい人として描かれているので、世界が美しく見えます。

印象に残った言葉のやりとりがありました。
人はそれぞれみんな、自分の興味のあることだけ考えているという話になったときの会話です。

「誰だって自分の世界がありますよ。・・・・・・いや、自分の世界しかないのです」

「そうね。・・・・・・自分の世界だけ。なんとなく悲しくなるわね」

「その世界をひろげるのですよ。誰でもはいれるように。そんな工夫をするために生まれてきたのじゃありませんか」


そう、忘れてました。そんな工夫をするために生まれてきたのなら、物事が単純になります。
ラッセルの哲学入門の第15章を読んだ時の、そっか!って感じに近い。ってことは忘れてたのでしょうか。いや、忘れたりは出来ないとおもうのだけど。

とりあえず、そんな工夫をしようとしているかどうかをよく考えます。

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